みんなの会話が、少し早かった。
誰かが話し始めると、すぐに別の誰かが返す。
その返事にまた誰かが笑って、次の話題に移っていく。
私は同じテーブルにいた。
同じように飲み物を持って、同じようにそこに座っていた。
でも、会話の流れだけが、自分の前を少し速く通り過ぎていくようだった。
言いたいことがなかったわけではない。
でも、言葉を出そうとしたころには、もう次の話になっていた。
私は結局、笑うことしかできなかった。
入るタイミングが見つからない
何か言おうとはしていた。
「あ、それわかる」
「私も前に」
「それって」
そんな言葉が、何度か喉の手前まで来た。
でも、そのたびに誰かが先に話し始めた。
会話は止まらない。
誰も悪くない。
みんなはただ、楽しく話しているだけだった。
でも、私はその流れにうまく乗れなかった。
今入ったら、話を止めてしまうかもしれない。
今さら戻したら、変かもしれない。
そう思っているうちに、また話題が変わっていった。
笑っていれば大丈夫だと思った
とりあえず笑っていた。
みんなが笑ったら、自分も笑う。
相づちを打つ。
うなずく。
「たしかに」と言う。
そうしていれば、その場にいるように見える気がした。
でも、本当は少しだけ焦っていた。
ちゃんと聞いているように見えているかな。
話についていけていないのがばれていないかな。
静かすぎると思われていないかな。
笑っているのに、心の中ではずっと確認していた。
楽しい場にいるはずなのに、少しずつ疲れていった。
知らない名前が出てくる
途中で、みんなが誰かの名前を出した。
私はその人を知らなかった。
でも、みんなは当たり前のように知っているようだった。
「あの人、前も言ってたよね」
「そうそう、あのときも」
「またあの流れになったら面白いよね」
言葉の意味はわかる。
でも、その背景がわからない。
前に何があったのか。
誰のことを話しているのか。
何がそんなに面白いのか。
私は少し遅れて笑った。
知らないことがひとつ増えるたびに、自分だけ少し外側にいる気がした。
聞けばよかったのかもしれない
「それ、誰のこと?」
「何があったの?」
そう聞けばよかったのかもしれない。
聞けば、誰かが説明してくれたかもしれない。
でも、その場では聞けなかった。
会話の流れを止めるのが怖かった。
知らないことを知らないと言うのが、少し恥ずかしかった。
今さら聞いたら、空気が変わる気がした。
だから私は、知っているふりをした。
曖昧に笑って、曖昧にうなずいた。
そのたびに、自分の中の居場所が少しずつ薄くなっていく感じがした。
自分の声が小さくなる
少し勇気を出して、ひとこと言った。
でも、声が思ったより小さかった。
隣の人には聞こえたかもしれない。
でも、会話全体には届かなかった。
誰かが別の話を続けて、私の言葉はそのまま流れていった。
無視されたわけではないと思う。
聞こえなかっただけかもしれない。
タイミングが悪かっただけかもしれない。
でも、その一瞬で、次に話す勇気が少し減った。
やっぱり私は、うまく入れない。
そう思ってしまった。
帰り道で思い返す
帰り道、今日の場面を何度も思い返した。
あそこで聞けばよかった。
あの話題なら入れたかもしれない。
もう少し大きい声で言えばよかった。
もっと自然に笑えたらよかった。
終わってからなら、いくらでも思いつく。
でも、その場では何もできなかった。
会話についていけなかったことが、帰り道になってからじわじわ苦しくなった。
誰かに嫌なことを言われたわけではない。
仲間外れにされたわけでもない。
ただ、流れに乗れなかっただけ。
でも、その「だけ」が少し痛かった。
みんなは気にしていないかもしれない
たぶん、みんなは気にしていない。
私が少し静かだったことも。
笑うタイミングが遅れたことも。
知らない話を知らないまま聞いていたことも。
誰も覚えていないかもしれない。
でも、自分だけは覚えている。
その場で言えなかった言葉。
聞けなかった質問。
届かなかった声。
帰ってから、それらが何度も戻ってくる。
みんなの中では何でもない時間だったかもしれない。
でも、私の中では、自分だけ浮いていたように感じた時間だった。
ついていけなかっただけの日
家に着いて、部屋の電気をつけた。
外で笑っていた自分が、急に静かになった。
バッグを置いて、上着を脱いで、しばらく座った。
今日はうまく話せなかった。
でも、だからといって、そこにいてはいけなかったわけではない。
会話についていけない日がある。
流れが早くて、言葉を出せない日がある。
笑っているだけで精一杯の日がある。
それは、自分がつまらない人だからとは限らない。
ただ、その日の会話の速さと、自分の心の速さが合わなかっただけかもしれない。
みんなの会話が早すぎた日の終わり
その夜、私は今日の自分を責めそうになった。
もっと話せばよかった。
もっと聞けばよかった。
もっと自然に混ざれたらよかった。
でも、少しだけ言い換えてみた。
今日は、会話が少し早かった。
今日は、入るタイミングが見つからなかった。
今日は、うまく話せない日だった。
それだけで、自分の居場所がなくなったわけではない。
静かだった自分も、その場にいた。
笑っていた自分も、ちゃんとそこにいた。
次は、知らない話をひとつだけ聞けたらいい。
次は、言葉をひとつだけ大きめに出せたらいい。
それくらいの小さな続きでいい。
私はスマホを置いて、部屋の明かりを少し落とした。
みんなの会話が早すぎた日。
話についていけなかった日。
でも、今日の自分を全部失敗にしなくてもいい。
そう思いながら、小さく息を吐いた。
