洗面所の鏡を見られなかった夜|夜の鏡が怖くなる短い話

夜に読む短い話

寝る前に、歯を磨こうと思った。

部屋の電気を少し落として、洗面所へ向かった。

いつもの場所だった。

毎日使っている洗面所。

朝も、夜も、何度も立っている場所。

それなのに、その夜は少しだけ空気が違って感じた。

廊下の明かりが弱くて、洗面所の奥がいつもより暗く見えた。

水道の音がやけに響きそうな気がした。

そして、鏡を見るのが少し怖かった。

何も映っていないはずなのに。

映るのは、自分の顔だけのはずなのに。

それでも、洗面所の前で一瞬足が止まった。

電気をつければいいだけだった

洗面所のスイッチは、すぐ横にあった。

手を伸ばせば届く。

電気をつければ、いつもの白い洗面台に戻る。

そうわかっていた。

でも、スイッチを押す前の一瞬が少し怖かった。

暗い鏡。

まだ光がついていない洗面所。

そこに立っている自分。

何もない場所なのに、見たくないものがあるような気がした。

私は少しだけ息を止めて、スイッチを押した。

明かりがついた。

洗面所は、いつもと同じだった。

鏡に映る自分が少し違って見えた

鏡には、自分の顔が映っていた。

当たり前だった。

でも、夜の顔は、朝見る顔と少し違って見えた。

疲れている。

目の下が少し暗い。

髪も少し乱れている。

表情も、思っていたよりぼんやりしていた。

自分なのに、少しだけ知らない人みたいだった。

昼間なら、そんなふうには思わなかったかもしれない。

でも、夜の洗面所の光は少し冷たくて、鏡の中の顔を妙にはっきり見せた。

私はすぐに目をそらした。

後ろが気になる

鏡を見ると、自分の後ろまで映る。

それが少し嫌だった。

背中の後ろ。

開いたままの洗面所のドア。

暗い廊下。

そこまで鏡に映っている。

誰もいない。

もちろん、誰もいない。

でも、鏡の中に自分の後ろの空間が見えると、急にそこが気になった。

直接見るより、鏡越しに見る方が怖いことがある。

自分の後ろに何かがあるわけではない。

ただ、見えてしまう範囲が増えるだけ。

それなのに、心は勝手に警戒していた。

歯を磨く音だけが響く

私は鏡をなるべく見ないようにして、歯ブラシを取った。

水を出す。

歯磨き粉をつける。

口に入れて、ゆっくり磨く。

シャカシャカという音が、洗面所に響いた。

夜の水回りは、音が少し大きく聞こえる。

水道の音。

歯ブラシの音。

コップを置く音。

そのたびに、部屋の静けさが少し揺れる。

何か怖いことが起きているわけではない。

ただ、音が響いているだけ。

でも、夜の静けさの中では、その「だけ」が少し怖かった。

もう一度、鏡を見る

うがいをして、顔を上げた。

見ないようにしていた鏡を、少しだけ見た。

そこには、やっぱり自分が映っていた。

さっきより少し慣れた顔。

少し疲れた顔。

寝る前の顔。

何も変なものは映っていない。

当たり前なのに、その当たり前に少し安心した。

怖かったのは、鏡そのものではなかったのかもしれない。

暗い時間に、自分の顔と、その後ろの空間を同時に見ること。

見えなくてもいい場所まで見えてしまうこと。

それが落ち着かなかったのかもしれない。

早く部屋に戻りたかった

歯磨きを終えると、私はすぐに洗面所の明かりを消した。

消した瞬間、鏡はまた暗くなった。

その暗さを見る前に、私は廊下へ出た。

部屋の明かりが見えると、少しほっとした。

自分の部屋に戻るだけで、空気が少しやわらぐ。

さっきまで怖かった洗面所も、ドアの向こうにあるだけで少し遠くなる。

私は部屋に戻って、ドアを少しだけ開けたままにした。

完全に閉めるのも、少し落ち着かなかった。

洗面所の鏡を見られなかった夜の終わり

布団に入ってからも、少しだけ鏡のことを思い出した。

夜の洗面所。

白い光。

自分の顔。

鏡の中に映る暗い廊下。

どれも、昼間なら何でもないものだった。

でも、夜には少し怖く見えることがある。

見慣れた自分の顔が違って見える夜がある。

鏡の中の後ろの空間が気になる夜がある。

そんな自分を、変だと責めなくてもいいのかもしれない。

怖いなら、明かりをつければいい。

後ろが気になるなら、ドアを閉めてもいい。

鏡を見たくない日は、少し目をそらしてもいい。

安心できる形にしてから、眠ればいい。

今夜は、鏡をちゃんと見られなかった。

でも、歯は磨いた。

部屋に戻れた。

それで十分な夜にすることにした。

私は布団の中で、小さく息を吐いた。

洗面所の明かりは消えている。

でも、部屋の中には小さな安心が残っていた。

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